黒川清先生は2011年に国会内の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員長を務められ、その報告書で大地震の後の原発事故を人災と指摘された事でも知られています。テレビなどでも何度も報道されましたので、ご存知の方も多いかもしれません。
黒川先生は東大をご卒業後アメリカで長く研究生活を送られ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部で内科教授を務められました。その後日本に帰られてからも東京大学医学部教授、東海大学医学部教授および同大医学部長、日本学術会議会長、内閣官房特別顧問等々を歴任された日本の医学会の重鎮のお一人です。旭日重光章という勲章(勲二等に相当)やフランスのレジオンドヌール勲章も授与されています。まさに医学会の中の雲の上の存在のような先生です。
その雲の上の存在のような先生と私とは実は少し接点があるのです。「米国内科学会(ACP)について」のホームページにも解説していますが、そのACPに日本の内科専門医が入会できるように交渉して下さったのが黒川先生だったのです。その縁で先生とお会いする機会が出来ました。私のACP入会時やフェロー(上級会員)昇格時などに黒川先生に英文の推薦状を書いて頂いたこともありました。
2002年に京都の国際会議場で国際内科学会があり、その会頭を務められたのも黒川先生でした。(この国際内科学会で私はポスターセッションの漢方の部門で座長を務めさせて頂きました。)その時に来日された米国内科学会(ACP)会長(当時)のサラ・ウォーカー先生とACPの国際部長さんを交えた会議に私も日本側の一員として出席する栄誉を頂いたのですが、その時の会議の議題はACPの日本支部を如何にして実現するかというものでした。実は黒川先生は既にACPの日本支部設立を前から構想されていたのです。最終的に日本にアメリカ大陸以外で初めてのACP支部設立が認められたのが翌年の2003年でした。
ACPの支部はGovernorという支部長が中心になって活動するのですが、日本支部の初代支部長はもちろん黒川先生でした。私も理事の一員を務めさせていただいた関係でそれ以来支部の総会時やアメリカで毎年行われるACP本部の年次セッションの機会などで黒川先生と御一緒する機会が増え、直接先生から薫陶を頂くことも多くなりました。国際的な視野からの先生のお考えは大変進歩的で示唆に富んでいます。私は大学で先生の講義を受ける事の出来た直接の生徒ではありませんが、黒川先生を恩師と呼ばせて頂いています。
黒川先生の先進的なお考えは黒川先生のブログをご覧いただければ理解しやすいと思います。
黒川先生(右)、左は黒川先生の後任の日本支部長・小林祥泰先生(島根大学学長)